なめがたヒストリー
~馬と神輿が戦う理由から、天王崎を考える~
2013/07/30
麻生祇園馬出し祭り
お暑-ございます。
最近ゲリラ豪雨というやつがたくさんやって来まして多少ビビっているからすです。
さて、今回は八坂神社で行われた麻生祇園馬出し祭りについてです!
からすは実は修士論文で八坂神社についてすごく細かく勉強したので、この八坂神社関連に関してはものすごく思い入れがありまして、一生懸命書こうと思います。
麻生祇園馬出し祭りとは…
まずは馬出し祭りとはなんぞやということで説明したいと思います。
【馬出し祭り】
行方市の天王崎に位置する八坂神社は麻生藩の総鎮守神社でした。
この麻生藩は毎年旧暦6月14日、15日の二日間を祭礼日とし、藩主を中心に盛大に祭典を行なってきたと言われています。
廃藩置県(1871年)後は、古宿、新田の二つの地区が中心となり、馬出し祭りという祭典を行なっています。
現在では行方市の無形民俗文化財に指定され、初日の宵祭りでは、神輿を先頭に稚児や神職が行列をなして地区内を練り歩き、二日目の本祭りでは八坂神社内で馬と神輿が勇ましい戦いを繰り広げた後、浜降りとして神輿が霞ヶ浦の中で揉まれることが有名です。
なぜ、馬と神輿が戦うのか。
馬出し祭りでは
馬-ヤマタノオロチ 神輿-スサノオ
に見立てると言われています。
八坂神社の祭神である素盞鳴尊(スサノオノミコト)にちなんで始まったものであると考えられます。
つまり、馬と神輿が戦うことによってヤマタノオロチとスサノオの戦いを表しているのですね!
ではなぜ、八坂神社の祗園祭でヤマタノオロチとスサノオが戦うということになったのか。
そもそもなんで天王崎の八坂神社にスサノオが祀られているのか。
今回は、ここにさらに突っ込んでみようと思います!
明治の廃仏毀釈運動と神仏分離令
実は、現在馬出し祭りが行われている八坂神社は、ほんの150年前はスサノオという神様が祀られていたわけではありませんでした。
そこに祀られていたご祭神は牛頭天王(ごずてんのう)と呼ばれる仏様と神様が一体となったような祭神でした。
いわゆる神仏習合という仏と神が一緒になった御柱でした。
この牛頭天王という神様(仏様?)は、明治時代の神仏分離令(1868~1870)という神様と仏様を分けましょうという運動によってメチャメチャに破壊され、存在自体意図的に消滅させられてしまいます。
明治政府が国家神道を形成するために神仏分離令を発令したという狙いがあるため、牛頭天王という名称の天王というのが天皇と同じ読みのため、徹底的に破壊したとも言われています。
この牛頭天王の消滅により、代わりに同じ性質を持っていたスサノオが八坂神社に鎮座することとなったのです。
そして、八坂神社ではスサノオとヤマタノオロチの戦いを模した麻生祇園馬出し祭りへと繋がっていくと考えられるのです。
しかし八坂神社内では完全に跡形もなく姿を消した牛頭天王でしたが今でもその形跡を地名から見ることができます。
それが、八坂神社が鎮座する天王崎という地名です。
実は天王崎の天王とは牛頭天王のことだったんですねー!
という考証が終わった所で今年の馬出し祭りの写真をご覧いただこうと思います!

馬出し祭りの稚児さんです!緊張しているのかな?

馬と神輿が戦います!カッコイイですね!!!
なかなか写真じゃ迫力が伝わらないかもしれないので是非動画でもご覧ください!

馬を操るのは命がけです!とっても勇壮な姿が見れます!

子どもたちも馬を引っ張ります!大人になったら本物の馬を引っ張るのかな!?
さて、ここで馬出し祭りでのもう一つのお楽しみ★
獅子頭に頭を噛んでもらうことができます!
実はこの獅子頭、行方市の有形民俗文化財です!
見つけたら頭を噛んでもらいましょう!
ご利益があるかもしれませんよー♪

ありがた~い獅子頭様です!
さて、馬出しも終わり、いよいよ神輿が浜に降ります!
いよいよ祭りもクライマックスです!

馬出しも終わり浜降りです!神輿が霞ヶ浦へ向かいます!

砂浜へ降りて来ました!

霞ヶ浦の中で神輿を揉みます!今年もどうか一年健康で過ごせますように!

こうして祭りは終わるのでした!また来年楽しみにしています!
上記が地図です!
会場の八坂神社がどこかわからない方はすぐ横の三松タクシー、霞ヶ浦観光交流センターコテラス、あそう温泉白帆の湯がありますので、そこを目指してお越しください!

祭りの会場の八坂神社のすぐ横の三松タクシーです!

コテラスです!帰りはゆっくりくつろぐこともできます!
取材協力
参考文献
・『麻生町史 民俗編』(麻生町史編さん委員会 2001)
・「八坂神社「馬出し祭り」の由来」(麻生町郷土文化研究会『麻生の文化』 麻生町教育委員会 1970)
・「昭和30年当時 麻生の馬出し祭」(麻生町郷土文化研究会『麻生の文化』 麻生町教育委員会 1998)