なめがたヒストリー
~これは本当に書いていいのでしょうか~
こんにちは。からすです。
今回前々から温めてはいたのですが、ずっと書けなかった茨城の都市伝説について書いてみようと思います。
先に言っておきますが、僕は全くそんなこと思ってないですからね!
僕は茨城が大好きですからね!
ただ、今回は記事ということで仕方なくざっくりと書いているだけなので!
と言い訳ばかり書いていますが、それもこの記事アクセス数をどうしても伸ばしたくて投入する記事です…(苦笑
アクセス数が伸びればいいのですが、抗議の声も聞こえそうなので…ある意味この企画は…博打です…。
また、今回はもっともらしく都市伝説をまとめるだけなので根拠や証拠は全くございません。
話半分に読んで下さい。
今回の話はズバリ、茨城の女性はなぜ日本三大ブスに数えられるかということです。
聞いたことがあるかもしれませんが、聞くに聞けないこの都市伝説。
御存知の通り、日本三大美人といえば秋田、京都、博多ですが、その双璧として日本三大ブスといわれるのが茨城、仙台、名古屋です。
なぜ茨城がそう言われてしまうのか。
それをさらっと考えてみようと思います。
秋田美人と茨城ブスの関係性について、いろんな都市伝説が有りますが、最も言われているものを書いてみようと思います。
水戸徳川家が、関ヶ原の戦いに勝ち、徳川頼房が水戸に入府することになり、水戸を治めていた領主、佐竹義宣は秋田へ転封されることとなりました。
佐竹義宣が水戸から秋田に転封(領地替え)させられる時に、腹いせに水戸にいた美人を全部秋田に連れて行きました。
秋田は美人が多くなり、水戸はブスが多くなりましたとさ…という話です。
佐竹氏もずいぶんとえげつないことをします。
よって、当時の水戸からは美人がいなくなったという話です。
※あくまでも都市伝説です。
そしてこの話にも続きがあり、水戸に入府した水戸初代藩主徳川頼房が、秋田に転封された佐竹氏に抗議したところ、佐竹氏は頭にきたのか、秋田のブスを寄せ集め水戸に送りつけてきます。
困った水戸の徳川頼房は、1/4のブスをを東北に送り返します。しかしブス達は秋田に辿りつけず、仙台に住み着きます。これが日本三大ブスの一角である仙台の成立です。
そして残った1/4のブスを兄の徳川義直のいる尾張藩へ送り、日本三大ブスの最後である名古屋が完成しました。
ちなみに御三家である兄の頼宜の紀伊藩へ残りの1/4のブスを送りましたが、頼宜の孫でありブス専の吉宗が和歌山から江戸へすべてのブス連れて行ったため和歌山は救われましたとさ。
めでたしめでたし…。
※あくまでも都市伝説です。
というわけで茨城(水戸藩)のブスは江戸時代より400年間受け継がれた由緒あるブスだと言えます。
歴史も難しく考えると本当に難しくなりますが、このように柔らかく考える面白い歴史もあります。あくまでも都市伝説ですが。
ちなみに、行方市はほとんど水戸藩ではないのであまり関係ないですからね!
ここまで書いておいてなんですが。。。。(苦笑
というか大丈夫でしょうか。今回の記事(^O^;)
たまにはいいのかもしれませんけどね(;´∀`)
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