なめがた来たらいがっぺよ サイクリング特集
株式会社出沼三郎商店の今昔~創業約100年!四代に渡って脈々と続く米と肥料の専門店~
~現在の出沼三郎商店~
出沼三郎商店さんは麻生陣屋通り商店街で大盛電機さんの隣でお店を開いています。
出沼三郎商店さんの創業は大正12年! 創業から約100年たった由緒ある会社です。
今回はその出沼三郎商店さんの今昔を追ってみようと思います。
出沼三郎商店の始まりは、富田にあった本店の出沼喜之助商店から分家したところから始まります。
出沼喜之助商店の店主であった出沼喜之助さんの姉である出沼マツさんが、初代出沼三郎さんを婿養子に迎えて大正7年に創業しました。
この頃は現在の建物の場所ではなく、麻生簡易裁判所の前あたりにお店を開いていました。
創業当初から米と肥料を扱い、農業をする人に肥料を配達したり、一般の人にお米を売るお店でした。
時代は下り、二代目出沼三郎さんに代が移った時代の出沼三郎商店の建物です。
昭和30年頃に建物は現在の場所に移りました。
当時は山車桁化粧の二階建ての建物でどっしりとした店舗の構えが写真からも見て取れます。
店の前に飾ってある七夕飾りは二代目出沼三郎さんが作ったものだという事です。
たくさんの短冊がついているのが見えます。
昭和30年代後半の出沼三郎商店
下の写真は昭和45年頃の出沼三郎商店さんのトラックの写真です。
このトラックは6t車で、当時は大きなトラックがまだ物珍しい時代だったので子供たちが興味津々で遊んでいる姿が見えます。
このトラックでは旧麻生町を中心に肥料やしざいを様々な所に運んでいたそうです。
この頃、三代目店主出沼一さんが麻生に戻ってきて川越から種芋を仕入れて「金時芋」の栽培の指導を始めました。
それまではでんぷん芋だったサツマイモが、食料となる美味しいサツマイモの栽培に変わっていったのです。
今ではサツマイモの名産地として有名な行方市ですが、その礎を作ったのが実は出沼三郎商店さんだったのです。驚きですね><
昭和45年頃の出沼三郎商店のトラックで遊ぶ子供達
この頃の出沼三郎商店の後ろには大谷石の大きな米蔵が建っていました。
この米蔵の材料になっている大谷石はとても火に強かったため、米を守るのに重宝したそうです。
三代目店主の出沼一さんにお話を伺うと、
「この蔵を建てる時に親父(二代目出沼三郎さん)と一緒に宇都宮まで見に行ったんだ。」
「当時は米屋がみんなこの蔵を建てていたんだ。この頃は最大で30キロのお米が9000体も入っていたんだよ。」とおっしゃってくれました。
当時の姿が思い浮かびますね。
昭和45年頃の出沼三郎商店の大谷石の米蔵
時代は変わり、現在の出沼三郎商店さんは四代目店主の出沼浩之さんに代は変わりました。
様々な時代の変遷を乗り越え、現在まで旧麻生町を中心とした行方市の農業文化と米文化を守ってきた出沼三郎商店さん。
農業地域である行方市の文化を守ってきたと言っても過言ではありませんね。
これからもずっとずっと麻生陣屋通り商店街を見守り続けてくれます。
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