なめがたヒストリー
~2015年は行方市市政10周年です♪~
今年一発目のなめがたヒストリーです!
こんにちは!からすです!!!!
2015年も張り切っていこうと思います!
みなさんも今年一年良いことがありますよーーーに♪
さて、行方市にとって2015年は節目の年になります。
そう、行方市が誕生してぴったり10年目を迎えるのですね!
10年を迎える日にちは、今年の9月2日!
気持ちも新たに行方市の団結を強めましょう!
ということで、今年一発目のなめがたヒストリーは、我々の住んでいるこの行方市はどのような変遷を経て現在に至るのかを、地図や図を用いて考えてみたいと思います。
現在の行方市になるまで、どのように行政区分が変遷してきたのでしょうか?
日々生活していても案外知らない方が多いと思います。
ここでは、現在の行方市に至るまでの変遷を追いかけようと思います。
(この地図は、市町村変遷パラパラ地図から作成したものです)
明治の大合併とは、近代的地方自治制度である「市制町村制」の施行に伴い、行政上の目的(教育、徴税、土木、救済、戸籍の事務処理)に合った規模と自治体としての町村の単位(江戸時代から引き継がれた自然集落)との隔たりをなくすために、町村合併標準提示(1988年 6月13日 内務大臣訓令第352号)に基づき、約300~500戸を標準規模として全国的に行われた町村合併。
結果として、町村数は約5分の1になります。
(総務省 市町村合併資料集より引用)
この時期の行方市をみると、現在でも残る小学校の地名が多く見られますね。
1889/04/01
1889/04/01
市制町村制の施行
茨城県内の市町村数(市=1,町=40,村=335,計=376)
昭和の大合併とは、戦後、新制中学校の設置管理、市町村消防や自治体警察の創設の事務、社会福祉、保健衛生関係の新しい事務が市町村の事務とされ、行政事務の能率的処理のためには規模の合理化が必要とされた。
1953年の町村合併促進法(第3条「町村はおおむね、8000人以上の住民を有するのを標準」)及びこれに続く1956年の新市町村建設促進法により、「町村数を約3分の1に減少することを目途」とする町村合併促進基本計画(1953年10月30日 閣議決定)の達成を図ったもの。
約8000人という数字は、新制中学校1校を効率的に設置管理していくために必要と考えられた人口。
1953年から1961年までに、市町村数はほぼ3分の1になります。
(総務省 市町村合併資料集より引用)
この時期に行方市内の三地域、玉造・麻生・北浦という行政区分が出来上がります。
1955/01/01
1955/01/01
合体:玉造町,手賀村,立花村,玉川村,現原村→玉造町(行方郡)
玉造町の成立です。
茨城県内の市町村数(市=14,町=45,村=210,計=269)
1955/03/31
1955/03/31
合体:麻生町、大田村、大和村、小高村、行方村→麻生町(行方郡)
麻生町の成立です。
茨城県内の市町村数(市=14,町=43,村=95,計=152)
1955/04/01
1955/04/01
合体:武田村、津澄村、要村→北浦村(行方郡)
北浦村の成立です。
茨城県内の市町村数(市=14,町=43,村=77,計=134)
平成の大合併とは、1995年の合併特例法に始まり、2005~2006年にかけてピークを迎えた市町村合併の動き。
国は、住民発議制度の創設や、合併特例債に代表される財政支援策のほか、中核市や特例市など権限を拡充した都市制度の創設、市や政令指定都市への昇格の際の人口要件緩和などによって、市町村の自主的合併を促してきた。
2005年の合併三法によって合併特例債に期限が設けられたことで合併が加速した。
(知恵蔵2015 「平成の大合併」より引用)
1997/10/01
さあ、いよいよ行方市の誕生です!
1997/10/01
町制:北浦村→北浦町(行方郡)
ここで、北浦村が北浦町になります。
茨城県内の市町村数(市=20,町=48,村=17,計=85
2005/09/02
2005/09/02
合併:麻生町、北浦町、玉造町(行方郡)→行方市
いよいよ行方市の誕生です!
茨城県内の市町村数(市=28,町=22,村=9,計=59)
2015/01/01(現在)
2015/01/01(現在)
現在は鹿行地区の周りの市町村もすっかり市になり、行政区分もはっきりしています。
茨城県内の市町村数(市=32,町=10,村=2,計=44)
行方市の行政区分の変遷の次は地図を見ながら変遷を追いかけてみましょう。
この100年の土地の変遷がわかります。
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
Google地図で検索した行方市の地図
Googleで現在見る地図です。みなさんが一番よく見る地図ではないでしょうか?
まず、現在の地図を見たあとにタイムスリップして、明治の中期から地図の変遷を追っかけてみようと思います。
明治中期から大正期にかけての行方市の地図です。
まだ霞ヶ浦の干拓が進んでいない頃の地図です。
現在の麻生地区の島並から於下に続く霞ヶ浦湖岸が整備される前ということがわかります。
また、余談ですが、霞ヶ浦対岸の現在の稲敷市浮島が本当に島だった頃の地図です。
霞ヶ浦にも島があったんですね~~
さあ、かわりまして、昭和初期から終戦までの地図です。
この頃になると湖岸整備が進みます。
先ほどの明治~大正期の地図に比べると北浦と霞ヶ浦の湖岸が角張ってきているのがわかります。
整備が進んだ証拠です。
余談ですが、この時期に稲敷市浮島は島ではなくなっています。
この地図の時期は、日本の高度経済成長が安定し、バブル期へと向かう、日本中が上り調子だった時の地図です。
この時期の地図はついに鹿行大橋の名前があります。
鹿島との行き来も楽になった時代です。
さあ、この地図になってくるとほんと最近ですね!
ついに時代は平成へ…
この頃の地図を見ると行方市にも大変革が起こっています。
霞ヶ浦大橋と北浦大橋がかかっていますね!
これで陸の孤島だった行方の交通の便がずっと良くなりました!
さて、現在に戻りまして、現在国土地理院が出している地図です。
現在見慣れているこの地図にも様々な変遷があったのですね!
今年一発目のなめがたヒストリーいかがでしたか?
私たちが住んでいる行方市も様々な変遷を経て現在に至っているのですね。
この土地に住んでいた先人たちの思いも心に秘め、市制10周年という節目の年を迎えましょう!
また、これを機会に行方市の地図などに興味を持っていただけると嬉しいです!
下に地図も付けておきますので遊んでみてくださいね(笑)
・時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」
http://ktgis.net/kjmapw/index.html
・市町村変遷パラパラ地図
http://mujina.sakura.ne.jp/history/08/index2.html
・総務省(市町村合併資料集)
http://www.soumu.go.jp/gapei/gapei2.html
・知恵蔵2015
https://kotobank.jp/word/%E5%B9%B3%E6%88%90%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%90%88%E4%BD%B5-182123
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。
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