なめがた今昔物語
~玉川地区周辺の思い出も共に~
久々のなめがた今昔物語の更新です。
実はちょっと嬉しい更新となりまして、今回の記事は筆者もワクワクしながら書かせていただきます。
今回の記事は、なめがた日和を日頃よく読んでくださっている鬼澤薫氏からの写真提供を受けて書かせていただいています。
鬼澤氏は、行方市玉川地区出身で昭和58年から東京にお住まいで、以前からなめがた今昔物語に載せたい写真があるとお電話をいただいていました。
今回はたまたま行方市に来る機会があったという事で、貴重なお話しと共に写真をお借りすることが出来ましたのでご紹介させていただきます。
【写真1】人文字で玉川小と書かれた航空写真
この航空写真は鬼澤氏が小学校6年生の時に撮られた写真ということで、当時の思い出話を語ってくださいました。
【鬼澤氏回想】
この航空写真を撮った日は、秋頃で少し曇っていました。
当時の玉川小の6年生は全員で44人おり、朝からクラス全員で校庭に出て校庭の砂を均したり、石灰で「1973」と描いたりしたことを覚えています。
午前中に飛行機が竜ケ崎飛行場を飛び立ったという連絡を受け、空を見ながら待っていると小さな飛行機が現れ、100mくらいのところで低空飛行になり3回くらい旋回しました。
思ったより低いところを飛ぶものだなと思ったことを覚えています。
後日、航空写真が完成したと噂を聞き、職員室に行って見せてもらうと自分の姿がはっきり映っていたのに感動しました。
後日希望者のみ購入するということで、私は3枚購入し大切に保存していた写真がこの3枚です。
このように鬼澤氏は語ってくださいました。
【写真2】カラー写真だと周辺の様子もわかります。
この時期は日本でも大阪万博が昭和45年に行われ、日本も盛り上がりを見せた時期でした。
当時の行方市は、ちょうどこの頃は旧玉造町の施設で色々な施設ができたころで、玉造町商工会館が完成、玉造町中央公民館、玉造町営プール等々が完成し、こちらも非常に盛り上がりを見せました。
また、鹿島では臨海工業地域の開発が進んでいたころで、鬼澤氏からの話だと、道路にはトラックがたくさん通っていたとのことです。
【写真3】当時の玉川小学校を中心に玉川地区の全景です。
航空写真は当時の開発の様子や、家の様子が分かるので面白いものですね^^
当時この大松は、高須の一本松に匹敵する大松でした。
今回航空写真の他に鬼澤氏が東京から持ってきてくださった写真の中に大須の大松の写真がありました。
子供の頃は藤井から近い大須で淡水浴をしたり、荒宿でタナゴ釣りをしたり、鹿島臨海工業地域の開発関係か建設などで使用するセメント用砂確保で大きな砂山や大型ダンプに積むためのタイヤブルドーザーを見ていたそうです。
その時に特に印象に残っているのがこの松だそうで、子供たちが登って遊べる大きな松であったということです。
今回は行方出身で東京にお住まいの方が、わざわざなめがた日和の事務所まできてくださりお話しを聞かせて下さいました。
生まれた土地を離れても、行方を思う心を忘れないでいてくれて、そしてなめがた今昔物語を読んでくださっているのを嬉しく思いました。
これからもこのコーナーでは古写真を募集しています。
皆様お家に眠っている行方市の古写真がありましたら、ぜひお教えいただけるようよろしくお願いいたします。
現在玉川小学校は、令和3年3月30日に解体完了する予定で工事が行われています。
校舎はなくなっても、ここで学んだ玉川地区の子供たちの思い出はずっと残っていくことでしょう。
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。
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