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なめがた今昔物語

昭和51年頃の中村畜産

~行方名物の豚肉“美明豚”の誕生まで~

2019/01/15

行方市名物の豚肉と言えば“美明豚”ですよね。

今回の今昔物語は、美明豚を育てている中村畜産についてです。

中村畜産の歴史

中村畜産

創業者の中村美明さんが、昭和34年にみちさんと結婚しました。

みちさんの実家が精肉店を経営していたため、だんだんと精肉店や養豚業の道に入っていったのが中村畜産の始まりです。

美明さんは、昭和34年の結婚当初は運送業を行っており、その後、昭和40年代に入ると枝肉の卸業と養豚業を始めました。

養豚業は鉾田で4年ほど行い、その後、昭和40年代中頃から現在の中村畜産の豚舎の在する行方市の次木に移転してきました。

現在の社長である2代目の一夫さんは「この頃は小学校から帰ると、豚を運ぶ手伝いをよくしていたんだ。遊びの延長上みたいなものだったよ」と話してくれました。

中村畜産の黎明期のお話です。
次木の豚舎を見回りする中村美明さん
次木の豚舎を見回りする中村美明さん
昭和51年頃の次木の豚舎
昭和51年頃の次木の豚舎
現在の豚舎。給水塔が当時のまま見ることが出来ます。
現在の豚舎。給水塔が当時のまま見ることが出来ます。

中村精肉店

中村畜産は美明さんが行う養豚業と並行して、精肉業を行う「中村精肉店」をみちさんが中心となって麻生の町中で営んでいました。

中村畜産は、この頃から養豚業と精肉店を行っていて、今でいう6次産業をどこよりも先に手掛け、おいしい肉を食卓に届けていたんですね。

精肉店の方にはこんな話があります。

中村美明さんが東京に仕事で行って、とてもおいしいメンチカツのお肉屋さんがあったそうです。

このおいしいメンチカツの味が気に入った美明さんは、「あのお店のメンチカツおいしいから作り方勉強してきてくれよ。」といって、みちさんを3日間修行に行かせてお店の味にしたというエピソードです。

このような美明さんの味に対するこだわりは中村精肉店の繁盛につながっていきました。
昭和51年の中村精肉店
昭和51年の中村精肉店

美明さんの名前を付けた"美明豚”の誕生

美味しい豚肉を育てる中村畜産の豚の肉質は評判を呼び、数々の賞を受賞していきます。

そして、平成10年から経営方針を変更し、「導入」から「一貫」にシフトしました。

導入は子豚を購入して育てる方法ですが、一貫は母豚の繁殖管理も行い、仔豚を産ませて出荷まで育てる方法です。

同時に、特定病原体を持たないSPF農場として認定を受け、一夫さんの妻 由美子さんも経営に加わりました。

そして、平成13年には、法人化して美明さんの息子さんの一夫さんが社長となり、代替わりして有限会社中村畜産が誕生しました。

一夫さんが社長になって2年後の平成15年には、数々の苦労の末についに、創業者の中村美明さんの名前を付けた“美明豚”が商標登録となります。

その後、中村畜産で育つ豚の評判はますます広がり、現在の行方市の名産の豚肉といえば“美明豚”となっていったのです。
昭和51年の豚舎内の様子
昭和51年の豚舎内の様子
現在の豚舎内の美明豚の様子
現在の豚舎内の美明豚の様子
今では行方市では知らない人がいないほどに成長した“美明豚”の名前の由来になった中村畜産創業者の中村美明さんの写真と共にご紹介させていただきました。

中村畜産は、現在は美明さんの息子である2代目の中村一夫さんの代に代わりました。

そして、一夫さんの息子の3代目の中村竜太朗さんと義季さんも現在共に、おじいさんの名前を冠した“美明豚”の養豚に携わっています。

おいしいお肉を届けたいという心が親子3代に渡って引き継がれている中村畜産。

行方市で美味しいお肉を作り続け、ずっとずっとこれからも行方市を見守り続けてくれます。

そんな美明豚を食べたいのであれば…コチラをご覧ください→行方市ふるさと納税で美明豚のご紹介

写真提供

中村畜産

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