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なめがたヒストリー

【橋門】鯨岡の歴史と阿弥陀様について

~変遷する丘の歴史~

いつもなめがたヒストリーをご覧いただいてありがとうございます!!!

からすです(^◇^)

 

このコーナーも早いもので丸々4年やっています!

ここまで続いているのも皆さんのご協力のおかげです><

今回の記事で5年目突入という事です!

 

同時に今回の記事で記念すべき60回目の記事になります!!

今回の記事は、橋門にある鯨岡に関してで~~す!!!

 

どうぞご覧ください~♪

鯨岡とは?

国道355線沿いにあるこの丘が鯨岡。

鯨岡とは、現在の「橋門の阿弥陀様」の祠があるこんもりとした丘の事です。

この丘は、実は歴史がものすごく深いのです。

 

なめがたヒストリーでおなじみの『常陸国風土記』行方郡の条にはこのようにあります。

郡南七里男高里。
古有佐伯小高。為其居處。因名。
國宰當麻大夫時所築池。今存路東。
自池西山。猪猿大住。艸木多密。
南有鯨岡。上古之時。海鯨匍匐。而來所臥。
即有栗家池。其栗大。以為池名。
北有香取神子之社也。

白文ではむずかしいですね><

 

現代語訳すると…

(行方)郡の南七里に小高の里がありました。
昔ここに住んでいた小高という佐伯にちなんで名づけられた里です。

 

(常陸)国の国守の当麻大夫の時代にここに池が作られ、それが今も道の東にあります。
池より西の山には草木が生い茂り、イノシシやサルがたくさん生息しています。


池の南にある鯨岡は、昔々鯨がここまで腹ばいでやってきて丘になったという事です。
この池は大きな栗の木があったことから、栗家池という名前が付きました。
池の北には、香取の神を祀る社があります。

と、書いてあります。

なんとも壮大な話ですね。なにせクジラがほふく前進しながら陸に上がってきたということですからね><

 

まぁ、もちろん現実にクジラが地面を腹ばいで登ってくるという事はありえません(ましてや、丘になる事はありえません)ので、これは何かを投影していることになります。

 

ここからわかることは、『常陸国風土記』は編纂された713年にすでにこの丘はあり、鯨岡の周辺に住んでいた人々はクジラを見たことがあったことが分かります。

 

古代においても、霞ヶ浦周辺ではクジラと共に歩んだ文化があったわけですね。

 

余談ですが、『常陸国風土記』の久慈郡の条には「久慈」の名前の由来は「“クジ”ラ」と書いてあります。

 

ここからもこの当時の常陸国の人々が、クジラと共に生活していたという事が分かります。

『常陸国風土記』登場以前の鯨岡

現在の鯨岡の前には、このような説明の看板が立っています。

橋門の阿弥陀様

 

此の地は常陸国風土記に見られる鯨岡の一部で古墳の跡と推測される。県道拡張工事の際に人骨の入った壺が発

見され、民家の井戸掘りに石板が出土している。

 

阿弥陀様は板碑に浮き彫りされたもので、時代の古さを物語っている。

元は塚の中腹に祀られてあったが昭和38年現在の位置に移された。

昔此の地方に麻疹が大流行の折一人の行者が堂宇を建立し、祈祷によって病魔を退散させたほか、疣取りに効験顕著である。

 

(鯨岡前の案内板より)

この案内板を見ると、人骨の出土状況などからわかるように、鯨岡はどうやらクジラの話として『常陸国風土記』に記述される前から古墳として存在していたようです。

 

おそらく『常陸国風土記』が編さんされた当時に古墳として存在していたものを鯨岡と呼んだのでしょうね。

 

前方後円墳は、横から見ればクジラの形に見えなくもないですからね。

横から見た鯨岡。

どうですか? クジラに見えますか?

鯨岡の上の阿弥陀様の祠です。

中には今でも板碑が大切に保管してありました。

鯨岡に関しての昔話

 

鯨岡(橋門の阿弥陀様)に関して次のような記述がありました。

橋門の阿弥陀様


昔、この地方にはしかが流行した。悪性であったので命を落とすものもあって人々は恐れ悲しんでいた。

あるとき、一人の行者がこの地方に回ってきた。この様子を聞いて、病魔退散の祈祷を行った。

ひどかったはしかも次第に下火になり、やがて跡を絶ったという。


その後、阿弥陀様をお参りするものは跡を絶たなかったという。

はしかばかりでなく、皮膚にもご利益があり、特にイボ取りの仏様として信仰されている。

お願いするものは、ここにあるしゃもじをお借りし、直った時はお礼参りとして新しいしゃもじをお上げすることになっている。

 

『麻生町史(民俗編)』より

この昔話は近世段階になってからのものだと思いますので、時代が変り、鯨岡が阿弥陀様として信仰の対象になっていたことを表していると思います。


イボ取りのご利益があるとして、身近な仏様になっていたんですね。
現在でも、祠の中に大きなしゃもじが置いてありました。

鯨岡の各時代においての変遷

今までの話をまとめると、鯨岡の歴史は…

 

【古墳時代】古墳として造成される。

【奈良~平安時代】古墳という事を忘れられて、クジラが登ってきて丘になったと言われる。鯨岡と名付けられる。

【鎌倉~江戸時代】いつの間にか、イボ取りの仏様として信仰される。

【明治~大正時代】道路拡張工事のために掘削されて古墳時代に埋葬された人骨の出土してしまう。

【昭和時代】真ん中に置いてあった阿弥陀様の祠を現在の位置に移動する。

現在に至る。

 

今見ると普通の丘と祠ですが、遥か昔から様々な変遷を経て現在に至っているのだなと思うと、歴史のロマンを感じます。

こんなに様々な変遷をしてきた鯨岡ですが、1つだけ変わっていなかったことがあります。

 

人々の生活の中心で大切にされてきたということです。

 

鯨岡の存在の意味や形は時代と共に変わりましたが、これからもこの鯨岡が後世に残っていってくれることを祈っています。


参考文献

・麻生町史編さん委員会『麻生町史 通史編』(麻生町教育委員会 2002)
・麻生町史編さん委員会『麻生町史 民俗編』(麻生町教育委員会 2001)
・常陽藝文編『常陸国風土記』(財団法人常陽藝文センター 1992)
・瀧音能之『演習 風土記ー常陸・西海道ー』(白鳥舎 2001)
・麻生町郷土文化研究会・麻生町教育委員会『麻生町小字名考』(1993)

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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