なめがたヒストリー
~行方市が誇る銘木に思いを馳せる~
こんにちは! 連日暑い日が続きますね~
梅雨は到来はまだですが、もう夏って感じがしますよねー(^O^)
どうも! 夏大好きの男からすです。
暑い季節になるとテンションが上がりますね!
さて今回のなめがたヒストリーですが、高須の一本松についてです。
玉造の皆さんには馴染みのある松かもしれませんね!
今回はこの高須の一本松に関して、少し突っ込んでお話をしようと思います。
高須の一本松はふれあいランドの前の信号を堤防沿いに進み少しすると見えてくる史跡です。
現在は緑色のフェンスの中に松が生えているのと、石碑がいくつか建っている場所。
ここにはかつて関東二大銘木と言われた高須の一本松が立っていました。
(ちなみにもう一つの銘木は鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏)
高須の一本松は、天に昇るといわれる竜が湖岸で水を呑んでいるような樹相が素晴らしく、歴史の偉人たちに愛される銘木でした。
その素晴らしい樹形や歴史的背景から、この松は昭和27年(1952)茨城県天然記念物に指定されたました。
しかし、昭和51年(1976)に松食虫に被害を受けて枯渇してしまい、昭和55年(1980)の県文化財の指定を解除されてしまいました。
枯れる直前の松は樹齢900年、根元周り8m、樹高約7m、東西南北23mあったと記録されてています。
松食虫の仕業とはいえ、行方市は本当に惜しい地元の宝を失ってしまいました。
ではこの松が、どのような歴史上の偉人に愛された松であったかを追ってみることにしましょう。
昭和50年頃撮影の高須の一本松の晩年の勇姿
(高須の一本松の案内板より)
高須の一本松は、歴史的な偉人が沢山やってきた場所として多くの話が語り継がれています。
まずそのお話をご紹介します。
まずこの松の植えられた話は伝説は、源義家が永承6年(1051)に陸奥の豪族阿部氏(前九年の役)の平定に向かう途中、鹿島神宮に戦勝祈願をするために霞ヶ浦を渡る時に、暴風雨にあい高須崎の地で待っていました。
その時に義家が歌を詠んだところ不思議と暴風雨がやみ、波間に1本の小松が漂っていたものを植樹したものと言われています。
この源義家は、別名八幡太郎義家といいまして、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝のひいひいおじいさんにあたります。
つまり偉い人ですね(笑)
そして次の歌を詠んだと言われています。
ちはやぶる 鹿島の神の 授け松
なほ 万代も 君は栄えん
源義家八幡太郎
鹿島の神、つまりタケミカヅチノミコト。
すなわち武神、戦いの神から授かった松は、ずっとここで長く栄えるだろう…
伝説なのではっきりしたことは分かりませんが、高須の松はこのようなドラマティックな始まりだとされています。
高須の一本松は水戸藩との関係も非常に深い松です。
江戸時代の元禄2年(1689)に水戸藩二代藩主水戸光圀が、領内巡視の際に立ち寄って歌を詠みました。
高須崎 波にゆらるる一ツ松
さぞや山路の 恋しかるらん
水戸二代藩主中納言光圀
光圀はこのこの松の雄大な姿にいたく感動をしたらしく、この巡視以降松の世話をする松守をおいて毎年水戸藩より松の肥料代を出していたといいます。
この光圀の政策は、明治維新の際の水戸藩の混乱で取りやめになるまで約200年間続きます。
一本の松を守るために肥料を200年出し続ける水戸藩…いやぁ~すごいですね!
高須の一本松は、それだけ立派な松であったということが言えます。
そして、江戸時代の最後の天保5年(1834)に徳川幕府第15代将軍徳川慶喜の父である水戸藩九代藩主徳川斉昭が、水軍訓練の際に立ち寄り歌を読んだことでも有名です。
斉昭は、水軍訓練を高須崎付近の霞ヶ浦で実施した際に立ち寄りました。
そして次の歌を詠みました。
つたえ聞く 何も高須の一つ松
波にこえぬる 緑みすらし
水戸九代藩主烈公斉昭
この徳川斉昭の歌なのですが、実は徳川斉昭の自筆で高須の一本松に歌を書いています。
高須の一本松があまりに気に入ったのでしょう。斉昭が高須の一本松を支える支柱に
「この松すごいから俺の歌、ここに自筆で書いちゃうっ!!!」
とでも言ったのでしょうか。まぁ、想像ですが…。
当時のハンコの変わりであった花押もしっかりと書いています。
実はこの徳川斉昭の自筆の支柱が、現在も行方市内に残っています。
これが徳川斉昭公の自筆入りの支柱です!
右側に屋根のようなマークがあります。
これが徳川斉昭の自筆の花押(ハンコみたいなもの)です!
この松にサインを書いた斉昭は景気のいい話で、この素晴らしい松の手入れをしなさいという事でポケットマネー30両を出したと言われています。
30両って言ったらピンと来ないとは思いますが、現在の貨幣価値に換算するとおおよそ600万~900万円です。
額がハンパないですね。どんだけ気に入ったんでしょうか…。
ちなみに、この支柱は現在の玉造公民館で館長に頼めば見ることができますので、ぜひ見にいってみてください!
徳川斉昭の高須の一本松にの思いを追憶することができると思います。
ご紹介してきた3人の歌。
実は未来へと伝えるため、高須の一本松の周りに歌碑として刻まれています。
高須の一本松を見に行く際は、ここもチェックしてみてください。
実はこれは徳川斉昭の手入れ金で建てたもの。
先ほどご紹介した30両の使い道はコチラの歌碑。
歌碑は2枚ありますのでぜひ読んでみてください!
高須の一本松は明治維新以降も、高須崎の地のシンボルとして人びとの生活を見守り続けます。
しかし、いくつかの受難が高須の一本松を襲います。
明治36年(1903)に台風で、高須の一本松の中の大きな枝が折れます。
折れた枝の年輪を数えたら700個あったということなので、相当太い枝が折れたのでしょう。
それでも高須の一本松は耐えます。
昭和13年(1938)の高須地区の大水の時に、高須の一本松は完全に霞ヶ浦に浸かってしまいます。
高須地区がほとんど避難したこの大水からも高須の一本松は耐えます。
ちなみにこの大水の時に、徳川斉昭の手入れ金で建てた歌碑が斜めに傾いてしまいます。
地区の皆さんも、本当にすごい大水だったとみなさんおっしゃっていました。
歌碑の傾きからも歴史を感じることができますね。
昭和13年の大水の時に水害復興記念で建てた二宮金次郎です。
当時はここまで水が来たそうです。
受難も多々ありましたが、昭和25年(1950)に茨城百景に選出。
昭和27年(1952)に茨城県天然記念物に指定などなど多くの栄誉をもらいます。
また、地域のシンボルとして子供たちの遊び場にもなっており、近所に住むおじいさんは「昔幹に大きな空洞があって、子供が入って遊んでいたんだよ」と教えてくれました。
それだけ、地元に馴染む素晴らしい銘木だったのですね。
しかし、最大の受難が高須の一本松を襲います。
これが冒頭に書いた昭和51年(1976)の松食虫による松の枯渇です。
そして昭和55年(1980)の県文化財の指定を解除となり、約900年に渡って高須の地に続いた高須の一本松の姿は永遠に見ることができなくなってしまいました。
非常に残念で悲しいことです。
さて、枯れてしまった高須の一本松ですが、世代交代をして未来へと繋がる取り組みが行われています。
昭和58年(1983)に高須の一本松の根元に生えていた二代目と、高須地区の有志の方が松ぼっくりを集めて育て、初代の形状に似た二股の苗木が植樹されました。
そして、初代のありし日の姿に追いつくべく2代目の高須の一本松が、現在も育ち続けています。
現在の2代目高須の一本松です。成長が楽しみです。
さて、この高須の一本松。行方市では史跡として文化財に指定する動きがあります。
そのひとつとして現在緑色のフェンスで囲まれている部分が、今年度中には江戸時代の版画にあるような情緒ある柵に変えられるそうです。
行方市の大切な文化資源であり、観光資源。
守っていきたいですね。
一本松を描いた江戸時代の木版画。このような柵に今年度中に変わる予定。
いかがでしたでしょうか。高須の一本松。
2代目が初代の晩年の姿と同じになる頃は、だいたい西暦2800~2900年くらいなので現在生きている人は誰も見ることはできませんが、復活させることにより高須地区の新たなシンボルとして歴史を受け継いでいっていくという素晴らしさがあります。
今から900年後の人たちが「この立派な松は西暦2000年頃に枯れたけど、地元の人々の力で復興したんだぞ」と語っている姿を想像するとロマンを感じますね。
もしかするとこの初代と2代目の転換期にいる私たちは、高須の一本松の歴史の大きな転換点の目撃者なのかもしれません。
先祖から代々受け継いできた文化。一度失うと復活させるのは大変です。
育てるのは何百年かかったとしても壊れてなくなるのは一瞬です。
だから文化財は大切にしなければならないのです…。
素晴らしい文化財。行方市の歴史的文化財。
高須の一本松を不死鳥のごとく復活させようじゃありませんか。
・成島謙二「高須の一本松の追憶」(玉造郷土文化研究会『玉造史叢』)
・村田知宏「名木の記憶 後世に」(茨城新聞 2014.1.5)
・高須地区のみなさん
・行方市役所 総務部 税務課
・行方市役所 生涯学習課
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。
行方市行戸2-8
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