なめがたヒストリー
~大六天とはいったい誰?~
長らくお待たせしました。
実に2ヶ月ぶりのなめがたヒストリーの更新で、大変申し訳ない思いでいっぱいのからすです。
この2ヶ月更新できなかったのは、なめがた日和の新しいコンテンツ「子育て支援ガイドマップ」の制作に走り回っていました。リリースされますのでみなさま見てくださいね♪
さて、今回のなめがたヒストリーは、11月23日に行われた麻生地区島並の熊野神社の大六天について紹介させていただこうと思います。
旧麻生中学校校舎近くに鎮座する熊野神社。旧麻生中学校校舎で学んだ方は馴染みが深いのではないでしょうか?
同じ日に行われた麻生地区青沼のどぶろく祭りも有名ですが、この大六天もぜひ有名になって欲しいのでぜひご一読ください。
熊野神社鳥居
熊野神社本殿
島並の熊野神社は、祭神にイザナギ・イザナミ・スサノオの3神を祀っています。
元は熊野大権現と称していましたが、明治3年(1870)に熊野神社と改称されます。
口伝では熊野大権現は、応永元年(1394)に領主の島並氏によって創建されたと伝えられていますが、文献資料は残っていないため詳しくは不明です。
しっかりと遡れるのは、天正9年(1581)で、島並幹国らによる造営の棟礼が本殿に残されているため、確実な記録としては16世紀までとなります。熊野大権現は、万治元年(1658)に社殿を焼失し、現在の社殿は翌2年に麻生藩主新庄氏の支援によって施工したものです。
本殿は一間社流造の銅板葺、建築様式から見ても非常に優れており、周囲の絵様繰形は江戸時代初期のものです。
万治2年の棟礼が現存し、遺構例も少ないこの時期のものとしては注目され、平成7年1月に本殿と棟礼8枚が県文化財に指定されています。
例祭は11月23日の大六天、他に1月1日と6月23日の御盛替神事があります。
古来から航行の安全に霊験が著しいと伝えられています。
なお神社周辺は、熊野自然環境保全地域特別地区に指定されています。
熊野神社本殿に向かって左
熊野神社本殿に向かって右。
奥に石塔と石仏が見える。
熊野神社は、言葉多く語らずともわかる、熊野古道で有名な熊野三山より勧進を受けた神社です。
しかし、大六天はあまり馴染みがないと思いますので解説いたします。
大六天は正式な名前は、第六天魔王波旬(はじゅん=悪魔)と言い、仏道の修行を妨げている悪魔です。他の名称としてには他化自在天、第六天魔王と言います。
歴史上では織田信長も自らを第六天魔王を名乗り熱く信仰していたことでも有名です。
つまり、第六天は悪魔や魔王の性質を持つことからハンパではなく強力な神仏ということがわかります。
第六天は神仏習合しながらさらに強い神仏とされ、疫病除けに信仰されていきます。
第六天を祀った神社が島並の中にあり、「大六天」集落として存在していました。
この大六天集落を大事件が襲います。
これがなめがたヒストリーですっかりおなじみになりました、明治時代の廃仏毀釈です。
大六天集落に祀られていた第六天様は神仏習合していたため、明治の廃仏毀釈で整理されてしまうことになりました。
大切に信仰してきた第六天様が整理されると知った大六天集落の人々は困った挙句、近くの熊野神社に第六天様を遷し、熊野神社で大六天というお祭りで残しました。
これが島並の熊野神社と大六天の関係です。
今では、この大六天集落は地名だけ島並地区に残っています。
大六天集落はどこにあったのか。
それは、今の麻生カントリークラブの手前くらいです。
『麻生町小字名考』をみると詳しい地区の位置が載っています。
麻生町郷土文化研究会・麻生町教育委員会『麻生町小字名考』(1993 p221)より抜粋
○の付いている所が大六天集落
【大六天】
魔王を祀ったという仏語の第六天由来と思われる大六天の鎮座地であったところ。明治の神社整理の際、熊野神社内の境内社として遷し、この地は現在熊野神社の所有地となっている。悪疫除けに霊効があるというので、有志が御輿を担いで各戸を巡回し、無病息災を祈ったが、しばらく途絶えていた。近年若者有志が復活させ守り継いでいる。このような神仏習合の跡地は各地にかなり散見される。
麻生町郷土文化研究会・麻生町教育委員会『麻生町小字名考』(1993 p229)より抜粋
この文章から大六天集落から熊野神社に明治時代に移されたということがわかります。
島並という集落は明治政府にも負けずに大切にご先祖様から引き継いだ信仰を守ったのですね。
凄すぎて頭が上がりません。
『麻生町史 民俗編』には大六天の神威を表す昔話としてこんな話が載っています。
【大六天】
大六天は木を大切にする神様で、昔、ここで樵が木を切ると血が流れ出し、その樵はびっくりしてしまい、病気になってしまいました。それを聞いた他の樵はそんなのはうそだと思いその木を切ってみるとやはり血が流れ出し樵は死んでしまいました。
今では熊野神社に祀られていて1月23日〔※原文ママ〕には神輿を担ぎ家を回ってお祝いするそうです。そして、今でもその木は切らないということです。
※『麻生町史 民俗編』には1月23日と書いてありますが、正確には11月23日です。
この昔話からは、大六天の強い力に対しての信仰が読み取れます。
きっとこの木に霊験を感じ、大切にするという信仰があったからこそ、熊野神社は熊野自然環境保全地域特別地区として、樹木を大切に保護するという現在のカタチに繋がったのでしょうね。
熊野神社大六天ののぼりです。
今年もお祭りが始まります。
有志の若者たちが御輿を担ぐ姿は圧巻です。
素朴な神輿ながらも猛々しい空気を感じます。
螺貝です。3つの法螺貝があります。
子供たちは上手に法螺貝を吹いて各家々を練り歩きます。
各家々に頒布する疫神除けの守札
お神輿は坂道もなんのその!
禰宜様による祈祷も行われました。
本殿の扉開です。
集落センターでは焼きそばなども用意して子供たちも大喜び
島並地区の楽しいお祭りでした!
熊野神社と大六天について紹介させていただきました。
行方市ではやはり神仏習合していた頃の名残が今でも見れるということを改めて感じたお祭りでした。
これからもずっとずっと子どもたち、またその子どもたちへと伝えて欲しい祭りです。
大切な伝統的な地区のお祭り!みんなで守りましょう!
麻生町郷土文化研究会・麻生町教育委員会『麻生町小字名考』(1993)
麻生町史編さん委員会『麻生町史 民俗編』(2001)
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。
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