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なめがたヒストリー

【祇園祭】祇園信仰ってなんだろう?

祇園祭はなんのために行うの?

こんにちは。からすです。

梅雨も開けて暑い時期になりましたね!

ということで今回のなめがたヒストリーは、夏の記事を書こうと思います!

 

皆さんは夏といえば何を想像しますか?

夏休み・プール・スイカ…

人それぞれ色々なものを想像すると思います。

 

まぁーからすの想像する夏といえば、やはり祇園祭ですよね!

(なんでだよというツッコミはさておき)

 

今週末、行方市内でもいっせいに祇園祭が行われます!

ということで今回は、祇園祭と縁が深い八坂神社、祇園信仰、最後に牛頭天王信仰について書いていこうと思います。
 

祇園祭とは…

まず、祇園祭とはなんぞやということから始めようと思います。

 

まず現代の祇園祭の解釈は、八坂神社でスサノオノミコトを祀り、疫病を除けるために行われるお祭りと一般的に言われます。

 

この八坂神社の総鎮守(全国で一番大きい八坂神社)が、京都府京都市左京区に鎮守する八坂神社です。

京都の祇園さんで有名だから皆様ご存知でしょう。

 

しかし、この京都の八坂神社。明治の廃仏毀釈の前は、感神院祇園社といいまして、八坂神社という名前ではありませんでした。

(ちなみに京都以外の八坂神社も、ほとんどはこの明治期に祇園社が名前を変えたものになります)

 

八坂神社という名前は感神院祇園社の八坂造(やさかのみやつこ)から取って、明治以降に付けられた名前になります。

 

この八坂神社は、明治以降はどの八坂神社でもスサノオノミコトが祀られていますが、明治以前の感神院祇園社の頃はスサノオノミコトではなく牛頭天王が祀られていました。

 

この牛頭天王は、神と仏が一緒になったものであったため、明治の神仏分離令によって存在を消されてしまいます。

かわりに牛頭天王と同じような性質を持つスサノオノミコトに牛頭天王がすり替わり、八坂神社の成立となりました。

 

この牛頭天王とスサノオノミコトがすり替わることができた原因は、妻との間に8人の子がいたということが共通していたからということでもあります。

 

ちょっと難しいかもしれませんが、下の表が牛頭天王とスサノオノミコトの変換表になります。

(興味のある人は見てみて下さい)

主神牛頭天王(ごずてんのう)素盞鳴尊(すさのおのみこと)
主神の妻頗梨采女(はりさいじょ)櫛稲田姫(くしいなだひめ)
八王子(主神の子)大歳神(たいさいしん)八島篠見神(やしまじぬみのかみ)
 大将軍(だいしょうぐん)五十猛神(いたけるのかみ)
 大陰神(だいいんしん)大屋比売神(おおやひめのかみ)
 歳刑神(さいけいしん)抓津比売神(つまつひめのかみ)
 歳破神(さいはしん)大年神(おおとしのかみ)
 歳殺神(さいさつしん)宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
 黄幡神(おうばんしん)大屋毘古神(おおやびこのかみ)
 豹尾神(ひょうびしん)須勢理毘売命(すせりびめのみこと)

実はこの表、正確に言うと八王子に関してはかなりの入れ替わりがあるのですが、これに関してはここで言及するとすごく難しい話になってくるので、現在の八王子はこんな感じというふうに考えて下さい。

 

このように、厄除けの神として信仰され、また、妻と8人の子どもがいるという点で、牛頭天王とスサノオノミコトはそっくり入れ替えられることとなりました。

 

このような流れから明治以前は牛頭天王を信仰していたところが、明治以降はスサノオノミコトを信仰するように変わったということができます。

これが現在の祇園祭につながっていきます。

 

しかし、全国の祇園祭にはまだ明治以前の牛頭天王を祀っていた頃の名残を見ることができます。

例えば、毎年この時期に行方市内で行われる祇園祭として有名なもので、麻生祇園馬出祭りが行われています。

 

この馬出祭りが行われるのは天王崎で、この「天王崎」という名称は、牛頭天王の信仰の名残を残しています。

 

また、小牧、新宮、蔵川地区で祇園祭の日程行われる天王様というお祭りも、祇園祭系統のお祭りと考えることができます。

 

天王様が何をあらわすかはお分かりですね?

牛頭天王ということになります。

つまり、祇園信仰は牛頭天王の信仰ということになります。

 

この牛頭天王という存在はいったいどのような存在なのか。

牛頭天王に関しての昔話で、蘇民将来説話というものがあります。

 

 

 

 

蘇民将来説話とは

昔、北海にいた牛頭天王が、妻乞いの旅で南海に行く途中に、日が暮れてしまい宿を求めていた。そこに二人の兄弟がいた。
裕福な巨旦将来と、貧しい兄の蘇民将来である。巨旦将来は、武塔神の宿乞いを拒んだが、兄の蘇民将来は、牛頭天王に一夜の宿を提供し、貧しいながらも粟などでもてなした。そして牛頭天王は蘇民将来の家を後にし、再び妻乞いの旅に出かけた。
数年後、妻乞いを終え、八人の王子を引き連れ、再びこの地を通りかかった牛頭天王は、蘇民将来に「宿を提供してもらったお礼をしたい。」と言った。そして、牛頭天王は、蘇民将来とその娘らの腰に茅の輪をつける事を命じた。その夜、巨旦将来たちは、宿を貸さなかったと言う理由で、牛頭天王に皆殺しにされてしまった。牛頭天王は「私は神様だ。後の世に病があれば、汝、蘇民将来の子孫といって、茅の輪を持って腰に付ける人を助けよう。」といって立ち去った。

この蘇民将来説話から牛頭天王は疫病を司る神とされ祇園信仰に発展していったということがわかります。

 

先人たちは牛頭天王の力にあやかることによって、夏に流行る病に対抗したのですね。

祇園祭は全国で7月に催され、現在でも人々に愛され続ける祭りとなっています。

 

 

行方市の祇園祭関係のお祭り…

麻生祇園馬出祭り(八坂神社)

橋門の夏祭り(八坂神社)

行方市でもたくさんの祇園祭関係の祭りが行われます!

 

・麻生祇園馬出祭り
・山田祇園祭り
・橋門の八坂神社の夏祭り
・新宮の天王様
・小牧の天王様
・蔵川の天王様

 

などなど。

他にもたくさんのお祭りが行われています!

 

祇園祭関係の祭りはたくさん!

住んでいる地区に八坂神社がある方々。一度祇園についての歴史を感じながらお祭りに参加してみるのはいかがでしょうか。

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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