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なめがたヒストリー

【ちょっと前の懐かしい歴史】鹿島鉄道について

行方市にも鉄道が走っていたんです

こんにちは!からすです!

今回はなめがたヒストリーで取り上げるにはそんなに昔じゃない話。

覚えている皆さんも多いことでしょう。

 

行方市の中を走っていた鹿島鉄道(通称:かしてつ)について書いてみようと思います。

 

「かしてつ」が廃線になったのが平成19年4月1日。

つまりピッタリ10年前です。

 

まだまだ覚えている人が多い「かしてつ」。

今回は「かしてつ」の《開業》→《人々の重要な足として》→《廃線》→《そして現在》を書いていこうと思います。

 

行方市にあった6つの駅《桃浦 ⇔ 八木蒔 ⇔ 浜 ⇔ 玉造町 ⇔ 武田 ⇔ 榎本》を一つ一つご紹介します。

 

行方市の皆さん、そして鹿島鉄道を利用していた皆さん、そして全国の廃線マニアの方に捧げる回です。

鹿島鉄道(鹿島参宮鉄道)の開業

当時の桃浦淡水浴場

「かしてつ」は、大正時代から昭和初期にかけて、鹿島神宮への参拝を目的に作られました。

 

当時の名称は鹿島参宮鉄道。

 

石岡~鉾田間を繋ぐ鉄道として大正13(1924)年に開業しました。

 

現在の行方市へ石岡から線路が伸びたのは大正15(1926)年、まずは浜駅までの路線が開業しました。

 

この頃に完成した桃浦駅前の淡水浴場は茨城百景にも選ばれそれはそれは素晴らしかったそうです。

 

次に、昭和3(1928)年に玉造町まで路線が伸び、最終的には昭和4(1929)年に石岡~鉾田間が全線開通しました。

 

当所は三期の路線計画があり、一期計画で石岡~玉造町、二期計画で玉造町~鉾田、三期計画で麻生や潮来を経て、玉造町~延方を敷設する予定でしたが、二期計画の進行中に建築業界が世界恐慌の荒波にのまれ、三期計画は幻のものとなりました。

太い線が「鹿島鉄道計画線路図」です。
しっかりと玉造~潮来間が結ばれているのが分かります。

というわけで、「かしてつ」の誕生は計画通りには進まず頓挫してしまった形から始まったんですね。

 

しかし、鉄道敷設は頓挫したものの、三期計画の玉造~麻生~潮来のコースがなければ鹿島神宮に参拝できないということで、玉造ー麻生ー潮来のコースは水運で交通網が整えられました。

 

霞ヶ浦の海上交通に関してはコチラ

昭和30年頃の霞ヶ浦遊覧船「さつき丸」

鹿島参宮鉄道(バス)のチラシ
鉄道と水運を利用して交通を整えていることが分かります。

こうして始まった「かしてつ」ですが、開業当初は蒸気機関車と箱型客車を使用しての鹿島神宮参拝と水郷遊覧船とあいまって観光、または貨物車を利用した物資の輸送のために多く使われていました。

開業当初の蒸気機関車

開業当初の箱型客車

人々の重要な足として活躍する「かしてつ」

 

「かしてつ」は第二次世界大戦中は、鉾田・百里・大竹・鹿島などに建設された飛行場への輸送のために軍事目的に使用されることのウエイトが大きくなった時期もありました。

 

高度経済成長期に全国各所で鉄道の近代化を図る時代になり、昭和33(1958)年にはディーゼル車を導入、昭和39(1964)年には蒸気機関車が姿を消します。

 

その後、「かしてつ」は主に沿線の高等学校の生徒の通学の足として、また、貨物車は百里基地への燃料輸送を目的として人々の生活を支え続けました。

筑波山とかしてつ(桃浦駅~八木蒔駅間)

とある朝のかしてつ(桃浦駅ホームより)

高校生の足として活躍するかしてつ(榎本駅)

森を潜り抜けてくるかしてつ(八木蒔駅~浜駅間)

乗り降りする乗客(玉造町駅)

「かしてつ」が廃線になるまで

 

行方市民の貴重な足として役割を果たして来た「かしてつ」ですが、転機が訪れます。

 

転機になったのは平成13(2001)年。この時「かしてつ」の重要な利用目的である百里基地への燃料輸送の貨物営業廃止が決まります。

 

百里基地への燃料輸送で経営が成り立っていた事もあり、「かしてつ」の経営悪化は深刻なものになります。

 

これに対し、関東鉄道の経営支援と沿線自治体と茨城県による公的支援が5年間行われることになり一旦は廃線の危機は脱し、数々の存続運動や署名活動・募金活動を展開してくことになります。

 

しかし、時代の流れは無情なもので平成18(2006)年に「かしてつ」の正式な廃線が決定。

 

平成19(2007)年に4月1日をもって「かしてつ」こと鹿島鉄道は83年間の歴史に幕を下ろしました。

廃線が決まった後に「83年間ありがとう」の横断幕を掲げて走るかしてつ
 

行方市の「かしてつ」の駅の現在

 

「かしてつ」が廃線になってあれから10年の月日が流れました。

 

行方市に存在していた桃浦、八木蒔、浜、玉造町、武田、榎本の6つの駅について駅の解説を踏まえながら現在の姿をご紹介しようと思います。

桃浦駅

写真が「かしてつ」が営業していた頃の桃浦駅です。

 

開駅は大正15年、廃駅は平成19年。

 

島式のホームを有する無人駅で開業当初から桃浦淡水浴場の最寄り駅としてその役割を果たしました。

 

石岡方面から行方へ向かう際の行方の玄関口の駅です。

 

家々の間を潜り抜けて鉄道が通る姿は鉄道ファンを魅了しました。

桃浦駅の現在

桃浦駅のホーム

駐車場前の石碑

現在の桃浦駅跡に行くと島式のホームは残っており、かつて線路があった場所にはソーラーパネルが設置してあります。

 

駅跡の駐車場跡には現在も「鹿島鉄道株式会社」と記述がある無料駐車場の看板があり、ここが駅であったことを伺わせます。

 

また入口にある石碑には「桃浦驛新道開設記念」と書いてあり、当時の面影を残します。

 

崩れてはいますが駅舎跡もまだ見ることが出来ます。

駐車場の看板

桃浦駅舎跡


八木蒔駅

写真が「かしてつ」が営業していた頃の八木蒔駅です。

 

開業は昭和6年、そして昭和16年から10年間の休止期間を経て昭和26年に復活し、平成19年に廃駅になりました。

 

山の縁に駅があり、周囲が静かな緑のトンネルを鉄道が抜けていくことから乗り鉄達を魅了しました。

八木蒔駅の現在

ひっそりとたたずむ駅舎跡

現在八木蒔駅跡に行くと当時の駅舎がひっそりとたたずんでいます。

 

行方市内の6駅の中で、駅舎が現在でもしっかりと残っているのは八木蒔駅だけになってしまいました。

 

線路はもうありませんが、正面の石垣や線路内の敷石は「かしてつ」が走っていた当時を思わせます。

線路内の敷石です。

正面の石垣が綺麗です。


浜駅

写真が「かしてつ」が営業していた頃の浜駅です。

開駅は大正15年、廃駅は平成19年。

 

霞ヶ浦大橋ができる前に活躍した浜渡船場の最寄り駅です。駅から石岡側も鉾田側も田園の中を鉄道が通るので景色がとてもよかったという事です。

 

ホームの待合室の中にはアサザの写真が飾られていたそうです。

浜駅の現在

ソーラーパネルがたくさんの浜駅跡

浜駅の現在はソーラーパネルが立ち並び、本当に全く駅だった面影はありません。

 

私の個人的な感想では、10年前まであった5駅の中で一番駅だったかどうかが分からない状態になっていました。

 

線路の敷石と、近くにある石碑に「濱驛道開溌記念碑」とあることが当時を忍ばせます。

敷石はキチンと残っていました。

近くにある石碑


玉造町駅

すみません。私の力不足で営業当時の玉造町駅の写真が発見できませんでした。

玉造町駅の開駅は昭和4年、廃駅は平成19年。

 

玉造町の中心に建てられ、「かしてつ」の計画が三期計画まで計画通り進んでいればハブ駅になったはずの駅です。

玉造町駅の現在

草が生い茂る玉造町駅舎跡

現在の玉造町駅の駅舎の跡地は完全な藪地になっています。当時の面影を残すのはポールくらいなものでしょうか。

 

現在はバスターミナルとなっていて、バスターミナルの名前は「かしてつ」があった当時の「玉造町駅」ではなく「玉造駅」となっています。

 

また、玉造駅バスターミナルのトイレの前には、「かしてつ」が走っていた当時の看板があります。

バスターミナルの名前は「玉造駅」です。

何かかわいいキャラクターが書いてあります。


武田駅

写真は武田駅があったことが分かる玉造町駅のホームの写真です。看板に「たけだ」と書いてあります。

 

玉造町駅の開駅は昭和6年、廃駅は昭和16年。

つまりたった10年しか存在しなかった伝説の駅です。

 

武田駅は「かしてつ」が廃線になった時にすでになかったため存在を知らない人が多い駅です。

 

武田駅を確認できる、とても貴重な写真です。

武田駅の現在

武田駅の跡地は、もはや駅があったかどうか全く分からない状態になっています。

 

それはそうですね。

駅があったのは75年以上前ですからね。

 

おそらく地元の方々でも、知らない人が多いのではないでしょうか。

緑が丘の踏切のあたりと言ったらいいんでしょうかね。そのあたりに武田駅はありました。


榎本駅

 

「かしてつ」が営業していた頃の榎本駅です。

 

開駅は昭和4年、廃駅は平成19年。

 

玉造工業高校の生徒が毎日利用した、玉高生の思い出の駅です。

 

榎本駅の近くには百里基地燃料タンク群がありました。

鉄道の左側に見えるのが燃料タンクです。

榎本駅の現在

榎本駅の線路跡

榎本駅跡は現在は住宅が建ち並んでいます。

駅舎があった場所は現在、藪になっています。

敷石だけが当時の姿を思い起こさせます。

 

榎本駅は当時の高校生の思い出と共に、未来へ向かっている気がしました。

敷石は当時のままです。

駅舎の跡は藪でした。

かしてつの思い出

 

現在でも「かしてつ」の沿線では当時の面影をしのぶことができます。

廃線になってしまいましたが、見かけたら「かしてつ」を思い出してあげてください。

玉造町駅~榎本駅間の高架橋
空を飛んでいるようで楽しかったと聞きました。

八木蒔駅~浜駅間の線路跡
趣きがある畑になっています。

桃浦駅近くの線路跡
この部分だけ高くなっていて当時を忍ばせます。

鹿島鉄道の枕木
タネのハシモトさんに置いてあります。

吉田屋さんの店舗横に移設されている玉造町駅舎
もう現存する行方市内の駅の駅舎はこれが最後です。

おわりに

 

いかがでしたか? 「かしてつ」に関して。

 

実は筆者であるからすは麻生出身なので、「かしてつ」に乗ったことがないんですが、今回調べていてとても愛着がわいてしまいました。

 

歴史に「if」というのはないんですが、もし三期計画まで鉄道の計画が進んでいたら。

もし「かしてつ」が廃線になっていなかったら、と考えると思いが溢れてきます。

 

「かしてつ」は現在は廃線になってしまいましたが、「かしてつ」に関わった全ての人々の心の中で生き続けてほしいです。


写真提供
・行方市役所商工観光課
・行方市役所生涯学習課
・鹿島鉄道保存会

 

参考文献
・『玉造町史』(玉造町史編さん委員会、1985)

 

取材協力
・福島理容

・吉田屋

・タネのハシモト

タネのハシモト

種苗業(野菜の種子・野菜苗・肥料・特殊肥料・青果流通販売)

農業を行う方を総合支援! 農業の事なら当店へお任せください!

行方市麻生3290-64

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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