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なめがた今昔物語

昭和30年頃の霞ヶ浦遊覧船「さつき丸」

~かつて霞ヶ浦を象徴した“霞ヶ浦の女王”~

2015/11/12

客を降ろした後に停泊する“さつき丸”
客を降ろした後に停泊する“さつき丸”
霞ヶ浦遊覧船の“さつき丸”のありし日の姿です。

“さつき丸”は昭和6年に建造され、三階建ての汽船でその後約半世紀に渡り霞ヶ浦観光の花形として活躍しました。

実はこの“さつき丸”第二次世界大戦中は観光船であるにもかかわらず軍事徴収され、輸送船や病院船として沖縄にも行った事がある船だそうです。

軍事徴収された“さつき丸”は一階部分にベニヤ板を貼り付け、船底にコンクリートを流し込み重心を下げるという改造を施されました。

数々の太平洋の戦地を渡り機銃攻撃を受け、上階部分は原形をとどめないほどボロボロになりながら、終戦後霞ヶ浦に帰郷したといわれています。

そして戦後、観光船として修復された“さつき丸”は日本の復興と共に観光ブームの波に乗り絶頂を迎えます。

しかし、時代の流れとは残酷なもので昭和40年代に入ってから霞ヶ浦の水質汚染が進み観光客が遠のき、地球40週分もの航海を終え、昭和52年に惜しまれながらも解体されました。

この2枚の写真は“さつき丸”が観光ブームで絶頂を迎えている昭和30年代に撮られたものだと思われます。

この頃は行方市では手賀と麻生に港があり、発着していたということです。
麻生港の桟橋
麻生港の桟橋
麻生港で乗客の乗降風景
麻生港で乗客の乗降風景
現在でも霞ヶ浦の遊覧船があれば、どれだけ素晴らしい景色が見れたことでしょうか。

筑波山と富士山の両方を霞ヶ浦の湖上見ることの出来る素晴らしい風景を人々の胸に焼付け引退していった“さつき丸”…

今回は記事を書いていて泣きそうになってしまいました。


写真提供…村田寝装株式会社