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なめがたヒストリー

【河童の恩返し】優しい河童に妙薬を教えてもらう話【芹沢地区】

~行方市に残る河童伝説~

すっかり春ですね~^^ あったかいの嬉しいですね~~^^

からすです~~♪

 

さてさて今回のなめがたヒストリーは、芹沢の河童伝説についてです!

以前なめがたヒストリーで荒宿の河童伝説をやりましたが、今回は芹沢の河童伝説をやろうと思います!

 

いやぁ~行方市には河童伝説が多いですねー><

芹沢の河童伝説とは…

 

今も残る河童の痕跡

手奪橋の上に鎮座する河童

玉造の芹沢地区に行くと、ちょっと奇妙な名前の橋があります。

橋の名前は手奪橋(てうばいはし)です。

 

なんともおどろおどろしい名前の橋ですね。

この橋たもとには、河童があぐらをかいて座っています。

 

普通に見るとちょっと恐ろしい感じがしますね…

しかしこの河童はとても優しい河童なんです。

 

この橋に手奪橋という名前がつくまでには、こんな昔話がありました。

芹沢の河童の恩返しの話

昔むかし殿様が領地の見回りを終えて屋敷に帰る途中、梶無川の橋を渡っていると馬が動かなくなってしまいました。
振り返ると子どものような姿の者が、馬のしっぽをつかんで川にひっぱり込もうとしているではありませんか。

 

殿様は「村人を困らせている河童だな。こらしめてやろう」と刀で斬りつけました。

河童は悲鳴を上げて川の中に姿を消しました。

 

お屋敷に戻ると馬のしっぽには、河童の手がぶら下がったままでした。

 

その晩のこと、河童がしょんぼりとやって来てはらはらと涙を流しながら「私は梶無川の七郎河童です。腕がないと泳げないし魚もとれません。そして心配なのは年老いた母です。手がなくては母親の世話をすることができません。どうぞ腕を返して下さい」と頼むのです。


かわいそうに思った殿様が腕を返してやりますと、薬を傷口に塗り、ひょいと腕をくっつけました。
殿様が驚いていると「お礼にこの薬の作り方を教えます。それにこれから毎日魚を差し上げます。もし魚が届かぬ時は、私が死んだと思ってください」と言って帰っていきました。

次の日から毎日、お屋敷の前の梅の木に、魚が2匹ずつぶら下げてあるようになりました。

人々はこの梅の木を魚掛梅と呼ぶようになりました。


ある朝、いつもの梅の枝に魚がなく、殿様は河童のことが心配で河童を探させたところ、かなり上流の与沢で腕に傷跡のある年老いた河童の屍が見つかりました。


殿様は河童のために祠を建ててその霊を祀り「手接明神」と呼びました。

これが文明13年(1481)辛丑9月9日であったと言います。

 

殿様が河童から手を奪った芹沢と捻木あたりを梶無川と言います。

この梶無川にかかる橋を現在は手奪橋と呼んでいます。


河童から教わった傷薬は芹沢家に代々伝わり、多くの人たちが救われました。
諸国の大名から届いたお礼の書状が、今でも芹沢家に残されています。

という昔話が残っています。

 

何気にいい話ですよね><

 

河童は1度過ちを犯したが親のために涙を流して謝罪し、その後も恩を忘れなかった…なんて素晴らしい話でしょう。

説話分類の河童の妙薬

ちょっとここから難しい話をしますが、この河童から薬の作り方を教えてもらう形式の昔話は東北、関東、四国に多く分布しており、日本中に広がりがあります。

 

江戸時代後期の文献である『西遊見聞随筆』『利根川図志』等にも、この形式の昔話は確認できます。

 

つまりもう江戸時代の段階では、確実に成立していた昔話ということですね。

 

この昔話の系統は、民俗学の説話類の分類で言えば「河童の妙薬」という系統の話になります。

 

この河童の妙薬という系統の話は以下のような4つの要素によって構成されます。

 

1:河童の悪事
2:河童の謝罪、主人の御許
3:河童からの妙薬の授与、もしくは治療法の教授
4:後日談

 

このような昔話を聞いたら「あ、河童の妙薬系統の話だ!」と思い出してください。

(昔話をしてくださる人を不快な気持ちにさせてはいけないので、心の中で思うだけで口にはしないで下さいね)

 

河童の妙薬系統の昔話には諸説ありますが、基本的に河童は相撲が好きなので相撲で我をした時に塗る薬を持っているイメージや、河童は金属を嫌うので刀傷に効果が高いイメージなどの説があります。

芹沢家と芹沢旧家について

芹沢城跡地に建つ石碑

さて、今度は河童側ではなく殿様の方にスポットを当てましょう。

 

河童の手を切り落とした芹沢家は医学の術を持つ豪族として戦国武将にも知られていました。

 

芹沢氏は相模国在住の時から医術とかかわりを持っていました。

芹沢家四代目当主範幹は京都へ赴いたとき医術を学んでおり、今に伝えられる白薬、万病円など傷の治療薬を提供していたとも言われます。

 

もしかしたら芹沢家のこの医学に関する知識と、民衆に広がる河童の妙薬に関する昔話がミックスされてこの昔話ができたのかもしれませんね。

 

しかしこれは結論が出てはいない話です。芹沢地区で河童の妙薬と言う昔話が話される理由…。あなたはどう考えますか?

芹沢といえば芹沢鴨。

殿様であった芹沢家とゆかりの深い人物です。

手接神社について

社殿の扁額にも手接神社とあります。

入り口にはデカデカとかっぱの神様の文字

昔話の中でお殿様が芹沢村の上流の与沢村に建てた手接明神の祠は、現在は手接神社という神社になっています。

 

現在手接神社は小美玉市にあります。

 

小美玉市とはいってもそんなに遠くはありません。

 

行方市から行くには、羽生郵便局から茨城空港に向かう途中にあるセブンイレブンの正面にあります。

 

案外近いですね^^

 

ふらっと休日に遊びに行けそうな神社です!

 

現在でも河童に対して崇敬を祓いながら、地域の方々に愛されている神社があるということが素晴らしい話ですね。

河童の石像もありました。

お守りも頒布していました。

芹沢地区の河童伝説いかがでしたか?

 

昔話の中にも様々な背景が読み取れ、また広がりを感じますよね。

このような昔話が現在まで伝わり、また今後も子々孫々にまで伝わっていけたらなと心から思います。

 

昔話は話す人がいなければなくなってしまうものです。

あなたが知っている昔話もあなたが話さなければ消えてしまいます。

 

ぜひ家族や友人と昔話をする機会があれば話してみて下さい。

 

昔話も貴重な郷土文化なのですから。

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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