なめがたヒストリー
~神社やお寺がなくても神輿や盆踊り!~
こんにちは! からすです!
8月18日付の茨城新聞でなめがたヒストリーについて特集をしていただきましてかなり反響がありました!
皆さま本当に有難うございます!
茨城新聞の記事にある通り行方市の地域に根付いた歴史、息をしている歴史についてなめがたヒストリーでは書いていこうと考えておりますので、今後ともどもよろしくお願い致します!
さて、今回のなめがたヒストリーは緑ヶ丘ふれあい祭りについてです!
このお祭り、なめがたヒストリーで取り上げるほど古いの?とか、歴史があるの?とお思いになる方もいるかもしれませんが、私が考えるにこのお祭りは、祭りを通して歴史を作り、そして共有することによって、地域のコミュニティーの形成の過程が分かる貴重なお祭りだと思います!!
よって現在、子どもが多いことで有名な緑ヶ丘の繁栄があるということだと思います!
ではでは、まずは緑ヶ丘の歴史から…
まず、現在の緑ヶ丘のある台地は明治時代の初頭(今からだいたい150年くらい前)までは人が住んでいない森でした。そう、玉造工業高校の前からは鉾田や北浦まで広~く森が広がっていたのです。
明治20年(今から127年前)に武蔵野原陸軍第1師団大砲射撃演習場になりました。
その後、明治41年(今から104年前)に演習場跡地に入植が始まりました。これが現在の緑ヶ丘地区への入植の始まりです!
その後、太平洋戦争終戦直後の昭和21年(今から67年前)に緊急開拓事業が始まり、開拓団が入植してきます。
そして、昭和26年(今から62年前)に現原小学校榎本分校が開校して、地区に学校が出来上がります。
昭和31年(今から57年前)に字名が緑ヶ丘と町議会で決定し、名実ともに緑ヶ丘という地名になります。
その後、玉造工業高校が出来たり、集落センターが出来たりして、時代を経るごとに地区の体裁を整え、緑ヶ丘は発展していきます。
そして昭和55年(今から33年前)8月15日に子供神輿を造り、地区内を巡回するお祭りが始まります。
これが現在の緑ヶ丘ふれあい祭りになります。
こう、緑ヶ丘の歴史を振り返ると、ここ100年くらいの間に急速に発展した地域だということが出来ます。
この緑ヶ丘地区、現在地区内の小学生だけでなんと78人もいます。
少子化に苦しむ行方市の中でこの数字は驚くべき数字だということがわかると思います!
まさに、この子どもたち、しいては地域の繋がりを生んでいる祭りが緑ヶ丘ふれあい祭りなのです!
昭和55年から始まった神輿の巡行から始まった緑ヶ丘ふれあい祭りですが、神輿を担ぐお祭りに非常に重要なものがありません。
実は、このお祭りには神輿を奉納する神社がありません。
普通は神社の行事として発展する神輿を担ぐという行為が祭りとして継承されるものですが、緑ヶ丘の場合は子どもたちが御輿を担ぐという事によって地域の結束を深めています。
これは全国の神輿を担ぐお祭りの中でも非常に稀な形態です。
やはり、お祭りが大好きな日本人は盛り上げるならお祭り、お祭りなら神輿という考えがインプットされているのでしょうね!
一年に一度、お祭りで地域の結束を強くし、地域の新たな歴史が作られてゆく…
緑ヶ丘ふれあい祭りは、今後の緑ヶ丘の発展に欠かせないものとなるでしょう!
さぁ! お神輿の出発です!
緑ヶ丘のお神輿です! 綺麗でしょう♪
子どもたちも先導を頑張ります!
昼間の子供神輿はたくさんの地元の方々に支えられて盛り上がります!
そして一旦休憩した後、夜に盆踊り大会が始まります!
祭りの会場です!
ひょっとこも踊っています! 会場は大盛り上がり!
盆踊りは炭坑節です! 昔なつかしい日本の風景。。。
小川和太鼓の披露もあります!
そうして緑ヶ丘ふれあい祭りの夜は更けてゆくのでありました。。。。。。
やはり日本の夏のお祭りはいいですね♪
緑ヶ丘ふれあい祭りの会場です!
来年は是非足を運んでみて下さい!
・緑ヶ丘地区の皆さま
・トヨムラファーム
・三枝工業
・マルゴストアー
・行方市商工会
・郡司益男「緑ヶ丘部落誕生記」
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。