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なめがたダイアリー

鹿島アントラーズ地域教育講演会が開催されました!

~HOME TOWN DAYS 「行方の日」~

2018/05/22

茨城県立麻生高等学校 サッカー部  参加者 59名
茨城県立麻生高等学校 サッカー部  参加者 59名
茨城県立玉造工業高等学校 サッカー部 参加者 35名
茨城県立玉造工業高等学校 サッカー部 参加者 35名
~ホームタウンデイズ「行方の日」~
鹿嶋市立カシマスポーツセンター会議室において
【鹿島アントラーズ地域教育講演会】が開催されました!

Jリーグ国内タイトル獲得数No.1を誇る鹿島アントラーズがこの地域に誕生して26年。私たちにとって、その存在は当たり前のものとなっていますが、もし、鹿島アントラーズがなかったら、今、この地域はどうなっていたのでしょうか…。
鹿島アントラーズがどのようにして誕生したのか、そして、どのように成長し、地域と共に歩んできたのか、その歴史を一緒に学び、また、元日本代表で、現役時代、鹿島アントラーズで活躍した、鹿島アントラーズクラブリレーションズオフィサー 中田浩二氏が、これから皆さんが、現在や将来を見据え、自分の道を切り拓いていくための原動力となる講演です。 
~行方市役所 鹿島アントラーズ地域教育講演会募集より引用~

※今回の鹿島アントラーズ地域教育講演会は鹿島アントラーズホームタウンの中で行方市が初めての試みです。
※講演会は中田浩二(CRO)氏、小澤英明(なめがた大使)氏をクローズアップした特集記事にしています。

地域教育講演会では…

「常に挑戦」し続けている中田氏はCROとしての仕事をしながら、筑波大大学院に進学し社会工学を専攻しています。
「常に挑戦」し続けている中田氏はCROとしての仕事をしながら、筑波大大学院に進学し社会工学を専攻しています。
講師
中田浩二(なかたこうじ)氏

【プロフィール】
株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー事業部 クラブ・リレーションズ・オフィサー(CRO)。
滋賀県大津市(旧滋賀町)出身。
1998年帝京高校から鹿島アントラーズに加入。1年目から試合に出場し、主にボランチでプレー。2000年、ナビスコ杯MVPを取得。チーム3冠制覇に貢献した。同年シドニーオリンピックに出場、ベスト8。 2005年マルセイユ(フランス)へ移籍。FCバーゼル(スイス)を経て、2008年アントラーズに復帰。2014年に現役を引退。
引退後、アントラーズのフロントに入り、CROとして、地域等との懸け橋となり精力的にクラブ運営に携わっています。


引退後、CROとして日々活躍されている中田氏、テレビのスポーツ番組にも出演しているのを観たことがあるかと思いますが、それもCROとしてのお仕事の一環なのか?そういった事も今回の講演会で聞くことができました!

講演題目

【選手・クラブ職員としてアントラーズに身を置いて】

「午前9時に出社して、定時が午後5時30分。皆さんが知っているタイムカードもガチャンと押しますよ。私が所属しているのは、マーケティンググループです。集客やイベント内容を考えたり、会議にも出ます。スポンサー対応や地域連携はもちろん、メディアへも関わっていきます。もちろん、テレビなどへの出演も仕事の一環です。
海外から戻ってアントラーズに復帰後、クラブ側から『フロントの仕事をしてみないか!』との話があり、引退後のことについて少し考えるようになりました。しかし、サッカー中心の生活だった自分としてはなかなか思い切れませんでした。」

選手時代に海外で学んだこと!

「最初はうまくいかないことが多い。では、なぜうまくいかなかったのかを考える。そして、難しいけれど、とても大切なこと、それは…「コミュニケーションをとること!」
コミュニケーション!それは、サッカーだけではなく社会に共通している。先ず、飛び込んでみる!チャレンジし続ける!
今までは、サッカーだけで、試合をすればそれだけで良かった。でも、1試合行われるだけでもたくさんの人が携わってチームを支えてくれる事に興味がわいてきた。縁の下の力持ちですよね。そういった事を経験するうちに「経営側」についてもっと知りたくなり、筑波大大学院の社会工学を専攻することにしたんです。

私も頑張るので、この講演会に来てくださった皆さんもあきらめず、何事もチャレンジしていって欲しいと思います!
中田氏が鹿島アントラーズでプレイをしていた時の懐かしい写真を見ながら、貴重なエピソードも聞くことができました。また、その写真には、現在も鹿島アントラーズで活躍中の小笠原選手の若かりし頃の姿も一緒に写っていました。
中田氏が鹿島アントラーズでプレイをしていた時の懐かしい写真を見ながら、貴重なエピソードも聞くことができました。また、その写真には、現在も鹿島アントラーズで活躍中の小笠原選手の若かりし頃の姿も一緒に写っていました。

なめがた大使 小澤英明(おざわひであき)氏も講演会に駆け付けて…

「失敗しないと見えない世界がある!」単身海外でプレーしてきた小澤氏の言葉を高校生たちはどう受け止めたでしょうか楽しみです。
「失敗しないと見えない世界がある!」単身海外でプレーしてきた小澤氏の言葉を高校生たちはどう受け止めたでしょうか楽しみです。
講師
小澤英明(おざわひであき)氏


【プロフィール】
なめがた大使。
オフィスKo’aga代表。
行方市(旧北浦町)出身。 北浦中学校、水戸短大付属高等学校(現水戸啓明高等学校)卒業。
1992年鹿島アントラーズに入団。1994年当時史上最年少でJリーグデビューを果たす。その後、横浜F・マリノス、セレッソ大阪、FC東京への移籍を経て、2004年アントラーズに復帰。2010年パラグアイのスポルティボ・ルケーニョと契約し、子どものころからの夢だった海外でのプレーを実現。ゴールキーパー大国パラグアイで初めて日本人ゴールキーパーがプレーし活躍したことでサポーター・メディアから注目される。2011年アルビレックス新潟に移籍。2012年「なめがた大使」に任命。2014年、ゴールキーパーアカデミー「ARQUEROS」を設立。

夢をもち、チャレンジする!
失敗しないと見えない世界がある!と話す、小澤氏の子どもの頃のエピソードが…
穏やかな語りの中にはいつまでもチャレンジャーでい続ける小澤氏のエネルギーが伝わります。

講演題目

【夢を持ち続けて】

「Fu'tbol Sin Fronteras」スペイン語で「フットボールに国境はない」との意味です。
「Fu'tbol Sin Fronteras」スペイン語で「フットボールに国境はない」との意味です。
「Futbol Sin Fronteras(フットボール・シン・フロンテーラス)」とは…

「『ボール一つあればどこでも誰でもサッカーができる』っていうサッカーの原点があると思うんです。国籍も年齢も性別も関係ない。そういうシンプルな、サッカーという競技そのものの素晴らしさを感じたい、伝えたい、と思っています。
サッカー交流会などでのふれあい活動を行いながらサッカーの魅力や体を動かすことの素晴らしさを伝えています。」

小澤氏がサッカーを始めたきっかけとは!

意外にも小澤氏がサッカーを始めたきっかけは、サッカーのテレビアニメ『キャプテン翼』だそうです。サッカーの経験が無い方でもこのアニメの題名は聞いたことがあるかもしれないですね。
登場キャラクターの中のゴールキーパーの「若林源三」だったそうです。
華麗にフィールドを走り、豪快なシュートをするのではなく「ゴールキーパー!」
若林のトレードマークがアディダスの帽子だったので自分も帽子を買ってかぶっていたそうです。アニメの若林が海外でプレーをするように、小澤氏も小学校の卒業文集には「いつか自分も海外でプレーしたい」と自分の夢がハッキリと書いてありました。その夢を実現すべく、2010年にパラグアイへ移籍しました。
あこがれ続けた、海外でのプレーは決して簡単なものではなかったそうです。
それでも家族や在留日本人、日系パラグアイ人の方たちのサポートのおかげでチームの1部リーグ残留に貢献できたそうです。

皆さんに言いたいことは、失敗しないと見えない世界がある!ということ。
夢を持ち、あきらめずにいれば必ず何か見えてきます。 目標を持ち明日に向かってください!

※厳しい海外経験をしてきた小澤さんの話に麻生高校サッカー部員、玉造工業高校サッカー部員はどんな思いを持ったでしょうか。

サッカーを通して人とのふれあいを大切に、そしてこれからもサッカーに対しての情熱は冷めない小澤さんの講話に高校生も何か感じるものがあったかな?
サッカーを通して人とのふれあいを大切に、そしてこれからもサッカーに対しての情熱は冷めない小澤さんの講話に高校生も何か感じるものがあったかな?

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