なめがた来たらいがっぺよ サイクリング特集
~スポーツ一筋半世紀、地域でハンドボールの礎を作ったお店~
現在のフジサキスポーツさん
フジサキスポーツさんは麻生郵便局の近くでお店を開いています。
フジサキスポーツさんは社長の藤崎泰助さんが創立し、現在は娘の藤崎素子さんと一緒に経営しています。
今回はそのフジサキスポーツさんの今昔を追いかけてみようと思います。
フジサキスポーツさんは現在社長の藤崎泰助さんが昭和36年に年に創業しました。
泰助さんは、昭和30~35年頃まで行方小学校をはじめ、北浦や鉾田の小中学校の体育の教師をしており、その時に感じた゛体育洋品を扱う店が近くにあったらいいのにな”という思いを実現しお店を開いたそうです。
始めは現在の麻生小学校の前の羽生医院のあたりでお店を開いていたそうで、この頃は、間口3間奥行1間の本当に小さなスペースからのスタートだったそうです。
午後に学校を回って受注を取って帰ってきて、夜2~3時に東京に出かけていき、上野公園に車を停めて問屋さんから物を買って、麻生に戻ってきて午後学校に納品する。
そんなハードな生活をずっと送っていたそうです。
当時の泰助さんのモットーは"即納”!
注文してもらったものは、とにかくすぐに納めるという信条だったそうです。
昭和40年頃になるとフジサキスポーツさんは、少し移動して蓮城院さんの前に移動します。
この頃になると仕入れなどの関係ができてきたので、東京に体力的にハードな事しなくても、お店に商品を運んでくれるようになってきたそうです。
この頃を泰助さんは回想して「この頃は問屋さんと、メーカーに助けられたんだ。」と語ってくださいました。
ここでできた関係が、のちに泰助さんを茨城県のスポーツ協会の理事やミズノ会の会長に押し上げるきっかけとなります。
この頃になると鉾田市にもフジサキスポーツの2号店を出店し、どんどん事業を拡大していきます。
写真は当時の麻生町で行われた商工市での様子です。
麻生で行われたものですが、カートには鉾田の「本町共栄会の店」の文字が見えます。
麻生と鉾田を股に掛けて活躍していたことがわかる写真ですね!
昭和60年頃に麻生商工会市に出店するフジサキスポーツ
世の中がちょうどバブル期にフジサキスポーツさんは蓮城院前から現在の麻生郵便局の前に店舗を移します。
高校生が学校の帰り道に寄ることのできるお店になっていきました。
夜でも部活終わりに寄ることのできるお店という事が、部活をしている高校生にウケて、とてもお店は繁盛しました。
平成5年頃のフジサキスポーツ
フジサキスポーツさんは、現在ハンドボールの名店として有名ですが、なぜそんなにハンドボールを扱うようになったのか。
それは社長の藤崎泰助さんが麻生高校のハンドボール部第1期生だったという事が由来であったといいます。
泰助さんのハンドボールに対する愛と、部活帰りの高校生に対してのきめ細かいサービスが現在の麻生フェニックスをはじめとする、全国でも有名なハンドボールの強豪の地盤になったと言えます。
フジサキスポーツの変遷を追いかけてみました。
麻生のスポーツをずっと支えてきたフジサキスポーツさん。
そして、現在86歳で現役でお店に立ち続けていらっしゃる藤崎泰助さん。
これからも行方市のスポーツの発展を見守りながら、ずっとずっと麻生陣屋通り商店街を見守り続けてくれます。
行方市麻生1076-21
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玉造の沖洲地区に古くから店を構える酒屋です♪